高島秀周の占い師の考え事

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四柱推命の空亡の役割(私の空亡論)

   

四柱推命の空亡の役割(私の空亡論)

 

天中殺、大殺界、算命学や六星占術などではそのように呼ばれています。天中殺は、私が中学生の頃、和泉宗章という人の本で大ブームを起こして有名になりました。

 

さてその天中殺や、大殺界は四柱推命では空亡と表現しています。(厳密には異なるかもしれませんが)

 

その空亡について私がプロとして占いに使っている内容と、それら世間で言われている内容が大きく違うと感じているので少し書いておきたいと思います。

 

実は、私は中学生の頃「天中殺」の本で、その存在を知りました。天中殺では何をやってもうまくいかない、これは避けようがない、あきらめるしかない、…などと和泉宗章氏は説明していました。天中殺というのは怖いものなのだなぁと強く印象に残りました。

 

ところがその天中殺(空亡)について、縁あって占い師になり鑑定をしていた私は、違和感を感じました。算命学や六星占星術では、天中殺、大殺界と呼び、確かに良くない時期と表現しています。四柱推命でも、空亡といって、良くない時期という鑑定師が大半です。

 

私は、算命学や六星占術を自身の鑑定に使いません。ですので私が違和感を覚えたのは、四柱推命の空亡のことなのです。

 

鑑定していても、空亡だから必ずダメだ、うまくいかない、ということに実際はなっていない事が多いのです。

 

ですが、空亡の知名度は強く、「空亡は何をやってもダメなんでしょ?」や「空亡だから…×」などと強く否定的に考える人たちが多いということは事実です。だけどこれ、違うと思います。

 

確かにそういう考え方の鑑定師が多いのは実際でしょうが、そもそも空亡は確かに空しく亡いことを意味する文字で表現されていますが、そんなことはないと私は考えています。

 

十干に十二支を配すると、10個と12個で確かに2個十二支が余ります。余った戌亥に最初に空亡と命名されました。なるほど、2個余るのでいけません。しかし、戌亥にも次の十干の甲乙が配当されますので、10個を一つのサイクルと考えると2個余りますが、循環する60のサイクルだと考えれば、次の十干からお相手は配されます。十干十二支は循環していて次の十干から余った十二支の相手が登場します。ですので、空しく寂しい十二支は相手を変えて楽しく過ごすことになるのです。

 

10個を一つのサイクルと考えないで、次のサイクルに続いていくのだと考えると、十干十二支が60個で一回りすることから考えて、寂しく孤立してしまう十二支は結局無いことになります。

 

干支は60を一つのサイクルと考えられています。ですので、空亡自体、60のサイクルで考えれば存在しないことになります。

 

このことは、私が空亡を怖がる必要がないと考える根拠の一つとなっています。

 

さて、それなら空亡は四柱推命でどのような位置づけにあるのでしょうか。私の理解では、空亡というのは、運気のスイッチのようなものです。確かに空亡というのは無視しては語れないと思うのですが、必ず良くないことが起きると考えるのではなく、運気の乱れが生じると考えています。この乱れは良くないことだけではなく、乱れることによって、存外に良いことも起きうるのだと考えます。

 

早い話が、空亡だからと闇雲に怖がるのではなく、空亡は運気のダイナミックに動くときで、それまで過ごしてきた自分に対して成績表がもらえる時期、と考えれば良いと思います。

 

それまでに一生懸命努力してきた人にとっては、空亡は陽の目を見るチャンスになるかもしれません。努力をしてこなかったり、人に害を与えてきた人などは、運気にその仕返しをされる可能性の時なのだと思っています。ですから、今空亡だからといって何かを手当てするということは既に手遅れなのです。空亡の時期をチャンスにするために前もって日々の努力を積み重ねておかなくてはならないのです。

 

運気の星が巡ってきたからといってそのときに手当てして間に合うことなどごく少ないのです。これは私の運勢論の根底に流れる考え方です。

 

イチローがマリナーズに移籍した年は、確か空亡でした。それまでのイチローの努力が大リーグに認められたのです。

 

空亡というのは、闇雲に怖がるのではなく、空亡だからといって行動しないことに運気のリスクは存在(するのだと心得ておいてもらいたいと、日々鑑定をしていて私は考えるのです。

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